はてなで「のzの…観ないで語る『ブレードランナー2049』」を書いていて、「人間らしさってどういうことだろうか?」とふと思った疑問に対してですね、ディープラーニングしてみました。

人間らしさって何?

「人間らしさ」ってなんでしょうね?

人間だって動物ですから本能があるわけで、

その本能に従って行動することもあるわけですよね。

だけどその行動が社会を逸脱しそうになると

人間はそれを自制しますよね。

そこが他の動物との違いですよね。

ここでは仮にそれを「人間らしさ」とします。


だけどその「人間らしさ」とは本物なんだろうか?

人間は社会に帰属して生きているわけだし

その恩恵を受ける為には社会を乱す様な行いは出来ないわけです。

結局社会が自制心を強要しているとも言えるわけです。

本当に人間は「人間らしく」はなっていないんじゃないかと思うんですよね。


本当に社会の為に自己を律せるのか?自己を滅せるのか?

本当にそれが出来るのは

アンドロイドやロボットなのかも知れないわけです。

「社会の為に自己を律するべし」

そうプログラムすればいいわけですからね。

 もう一つの「人間らしさ」

ここまでは他の動物との比較においての

「人間らしさ」の話をして来ましたが、

「人間らしいってそういうことじゃないだろう?」

と言う方もいらっしゃると思います。


次に別の「人間らしさ」の話をします。

人間は物事の善悪の判断は出来ますよね。

だけど善悪の判断だけで単純に物事を振り分けてはいないですよね。


例えば今回日産とスバルで起きた「無資格者による検査」の発覚問題。

恐らくですが現場レベルで資格のある検査担当者の絶対数が足りないことから起きている違反行為だと思うんですね。もちろん許されるべきではありません。違反は違反なんだから是正されるべきですよ。


だけど是正されるべきは企業のコンプライアンスとかそういったレベルでは無くて検査の規定の方ですよね。

つまりは有資格者の絶対数が足りていないわけですから、実態に則していないわけですよ。実態に則していない規定は変更すべきですよね。

だから検査に携わる人間の規定を変えて、無資格者でもある程度経験を積めばOKってことにするしかないですよね。


現場レベルではもうそういった判断で動いていたわけでしょう。

ある程度経験があればわかるんだから、

資格なしでも良いってことにしちゃいましょうよと、

まあそういった現場判断でやって来たんじゃないですかね。


上は現場レベルでの実態に則してない規定を押し付けた上に、ある程度のノルマを要求したわけですよね。これだけの数をこなしなさいよと。

でも規定を守った上でその数字を満たすには困難だと現場は判断した。

ここで選択肢が生まれるわけです。


A:違反行為をやってでもノルマを達成しよう。

B:この規定でノルマを達成するのは無理だから突き返そう。


人間ならどっちを選択するか。

ロボットやアンドロイドならばBかも知れませんね。「無理です」と。

でも人間は時にはAを選択しちゃったりします。また上層部はAを選択する人間が大好きだったりしますからね。

これもある意味人間らしい行いと言えるかも知れません。

それが「人間らしさ」なんだと

そう主張することも出来ますね。


つまりこの場合の「人間らしさ」とは

機械(ロボットやアンドロイドも含む)との比較から浮かび上がる「人間らしさ」です。

前述した動物と比較した場合の「人間らしさ」とは逆になってしまった。


ここまで考えてようやく『ブレードランナー』のレプリカントが少しわかった気がします。

レプリカントは本来抑制の効いた機械である筈なのに

あまりに人間に寄せて造り過ぎたが為に

時には社会的逸脱行為も辞さない「人間」の様な存在になってしまったわけです。

つまりこれはより創造主に近付きたいという願望なのかもしれません。


宗教によって人間を律していた頃は

人間は創造主たる神に近付こうとしていましたよね。

崇高な人間のモデルとして神を想定し、それを目指していたわけです。

それと同じことをしているのかもしれません。


近代に入って人間は宗教で律することを止め

法で人間を律して来ました。

しかし法で律したら、神の様なモデルを失ったわけです。

近代から現代における人間の「存在不安」というのは

神の様なモデルがいないから起こっているのかも知れません。

AIが神の代わりに

そこで私はちょっと変なことを思いついてしまった。

最近何かとAIのことが話題になっていますよね。

近い将来、いつかAIは人間を超えてしまうんじゃないかと、それが脅威であると言われています。

AIが人間を超えてしまうとどうなるのか、様々な議論を呼んでいます。


私はある意味AIが「神」の様な存在になってしまう気がするんですね。

もしかして人間は潜在的な欲求として「神」を求めるあまり「神」を創り出そうとしているのではないかと。

つまり自分達のモデルとしての「神」がいない今、逆に「神」を創り出してしまおうとそう潜在的に望んでいるのかも知れません。


今政治や経済はますます混沌として来て

一体全体どうなるのか見当もつきません。

あらゆる問題が山積みで

何一つ解決に至っていません。

恐らくは誰にも全体を見通すことなんて出来ないんじゃないでしょうか?


もうねあらゆる問題を誰かに丸投げしたい。

そういう気分に社会全体が今なっているんじゃないですかね。

それはある意味「神」(=AI)を創り出す行為なのかも知れません。


ということで今回は長くなり過ぎました。

しかも何だか変なところに着地してしまった気がします。

『ブレードランナー』から出発したのに

全然関係ないところにゴールしてしまった感じがします。
深く掘り過ぎた。
のzのblogから飛んで来て最後まで読んでくださった方々に感謝いたします。