ええどうも。のzのです。
今日は311東日本大震災の頃のことを書きます。

ええ私の職業は介護士で
現在は神奈川県の東部にあります、
病院系列の有料老人ホームで働いております。
ただ大震災のあった当時はですね、
同じ病院系列のリハビリ病院で働いてました。
業務内容はほぼ似たり寄ったりですが
病院では看護補助者として働いていました。
あの日は丁度入浴の日でして
朝から入浴介助をしておりました。
地震の起きた2時50分頃はもう最後の患者の入浴介助している時でした。
いきなり今まで経験したことのない揺れが起こりました。
しかも今までならすぐに済む様な揺れが
かなり長く続いていました。
病院ですから建物自体は頑丈です。
だから大きく壊れる様なことは無かったのですが、
浴室の窓の外からガタン、ビシンという
何かが外れたか落ちた様な音がして
これは尋常じゃない地震だとすぐに思いました。
とにかく揺れている間は動けませんでした。

しばらくして揺れが納まり
ようやくして落ち着きを取り戻し
裸のままの患者の着替えを介助しました。
そして無事その患者を病室に届けると
みんなで顔を突き合わせ
「今の凄かったね。どこが震源地?」
とか言い合ってました。
職員の1人が
「きっと遠いどこかで大きな地震が起きたんだよ」
と言いました。
そう揺れ方が直下型の揺れとは違うからです。
直下型の揺れが起きた場合
有無を言わせず人は立っていられないでしょう。
しかしさっきの地震は確かにこれまで経験したことが無いほどの
大きな揺れではありましたが、
まだ何かに捕まりながらも立ってはいられました。
だからきっと遠くで起きた地震の波がはるばると伝わって来て、
さっきの大きな揺れを作ったのだろうと思いました。
だから恐らく震源地はとんでもない事になっているだろうと。
その時思いました。

病院に直接大きな被害はありませんでした。
ただ安全装置が働いてエレベーターが使用不能になりました。
入浴の日はタオルなど
大量のリネン類が出ます。
それらは1階外にあるプレハブ小屋の不潔リネン庫に
持っていかなければなりません。
ですがエレベーターが無いので仕方なく、階段を使って職員同士連携して
運び下ろしました。そうやってようやく病院の混乱は終わりました。
停電もしませんでした。
少し一息付いて私は病棟に戻りました。

病棟に戻ると次第に地震の情報が明らかになっていきました。
どうも東北の方で起きたらしい。
「ええー!?つい2~3日前にも起きたのに?」
と誰かが言いました。そう2~3前にも東北で結構大きめの地震がありました。
しかしその時は割合大きな揺れにも関わらず
あまり被害が出ていませんでした。
「確かニュースでこの前の地震は東北を定期的に襲う大きな地震とは別の地震ですって言ってたな」
私はそう言いました。
確かに2~3日前の地震で、
女性の地震学者がそう言っていたのを聞いていたからです。
その女性学者は近々またより大きな地震が襲ってもおかしくない周期ですと言っていました。
「それがこれなのか」
誰かが私の言ったことに反応して言いました。

患者の病室のベッドには
それぞれテレビが付いています。
患者に呼ばれて身の回りの介助で行く度に
その場で患者のテレビに釘付けになりました。

なんだこりゃ?
そこに映っていたのは
街を襲う「瓦礫の波」でした。
ヘリで上空から撮影しているその様は
今まさにその場で地獄絵図が繰り広げられているのを
ただただ映しているのみ。
もちろん誰にも助けられません。
次々と車や建物を容赦なく飲み込んでいく「瓦礫の波」
一緒に観ていたナースがいいました。
「たぶんあの下で何千何百という人が死んでいるんだろうね」
と言いました。
そりゃあそうだろう。
とても全員が逃げ切れる波の規模ではない。
逃げ切れずに飲み込まれている人がきっとたくさんいるんだろう。
こんなことがこの世に起こるなんて信じられない。
まさに目を疑う光景とはこのことだと思いました。

その日私は”早番”と言って
朝7時から夕方3時半までの勤務でした。
入浴の業務が終われば
すぐに上がれます。
私はもしかしたら電車が止まっているかもしれない、
と思い歩いて帰る決意をしました。
幸い職場から自宅まで歩いて50分ほどの距離です。
私は歩くことにしました。
案の定電車は止まっています。
そして道を歩くと車が渋滞を起こしています。
信号が停まっているのです。
交通がマヒ状態です。
私はひたすら我が家を目指しました。

歩くこと1時間弱。
ようやく我が家に着きました。
途中そんなに目立って壊れている様な建物などはありません。
ただ夕方薄暗いのに街灯が点きません。
やはりいつもと違う。相当ダメージがある。
我が家の電気も止まっていると覚悟しよう。
そう思いました。
途中何度か携帯電話で電話しましたが繋がりません。
恐らく電話も止まっているんだろうと思いました。

我が家に着くと、案の定停電していました。
寒い中仕方なく膝までしかお湯が無い風呂に入り
ようやく居間に行って一息吐きました。
部屋は真っ暗です。
母が真っ暗な中料理を作っています。
テレビでどれだけの被害があったのか知りたいですが
停電なので全くわかりません。
仕方なくトランジスタラジオで情報を得ました。
しかし具体的なことはよくわかりませんでした。
私は地震直後から停電しているので知らない両親に
病院で観た「瓦礫の波」のことを伝えました。
そして真っ暗な中蝋燭の灯りを頼りに食事をしました。
心細かったけれども一息吐けました。

そして夜の11時になると
ようやく電気が点きました。
さっそくテレビを点けてみると
港が燃えている映像が出てきました。

(続く)